
全員無料【鈴木Mob.生誕祭2025withチェロ制作日記②】激動稽古編
どうも、MMGJAPAN脚本部のたなしゅうです。
普段は芸人/作家をしています。
MMGJAPANでは、鈴木Mob.のコンテンツ制作や、イベント制作などをしています。
さて、生誕制作日記2回目。
前回は事の発端という感じでしたが、今回は激動稽古編。
三月二日。
再度オンライン上で、ミーティング。
楽曲を一旦選定し、らむ太郎に楽譜を共有。
この時点で、チェロとソロ曲のコラボと、アニソンを歌いたいということは話している。曲数や順番などは一度やってみてから考えようとなる。らむ太郎がこの辺りから、ソロ曲やワチャチャYouTubeを沢山勉強し始める。
余談だが、らむ太郎は年末ぐらいのビラ配り(豆乳さんが来てくれた回あたり)で渋谷を通りがかり、Mob.氏からチラシを受け取っていたらしく、その辺の話題もありスムーズなコミュニケーションだった。
三月十八日。
初稽古。20時頃、新宿。
武道館までも大詰め。この時は感じてもいないが、生誕まで一ヶ月切ったこの日。
顔合わせ兼初稽古が行われた。
19時50分にスタジオ前に現れた鈴木氏は、僕の目にはとても疲弊していたし、少し頬が痩せこけていた。とりあえず、まだ時間があったのでコンビニに行こうと誘う。昼はドーナツを食べましたと言いながら、おにぎりと水だけを彼女は手にした。それだけしかお腹に入らないのだろうし、今はどうこうと言うべきじゃないと感じた。
らむ太郎が到着。
兎に角2時間しかない、挨拶もそこそこに一曲ずつ試していく。
僕の初感としてはこの時点で、あ大丈夫そうだと安心したのを覚えている。
というのは、芸人も役者も、音楽も相性がある。まず合わせてやってみて行けそうか、どうかぐらいはわかる。二人の雰囲気を無駄にドラムセットに座りながら聞いていて、兎に角よかった。
お互いの感覚を擦り合わせていく時点で全然歪(いびつ)なのにまとまっていた。
それは二人もそう感じていたようで、どんどん他の曲を試していく頃には柔和していった。
実際には披露されなかったが、この日のクレイジーアイドルもとてもよかった。
歪なのにワクワクした。全然知らないのに落ち着いた。鈴木Mob.ってそういう事だと思うし。
僕の二人芝居ヒポポポクラスをみて、このイメージをMob.氏が創ったからなのだろうかとも勝手に思った。
ヒポポポクラスはコントとも芝居とも言わず、フライヤーでも何をするともたいして言わず。目の前で起こることが見せたいものだし歪さも誠実さも好きに受け取ってくれという公演だった。コントロールしたくないし、されたくない。そんな芸人としても作家としても居場所のない僕の意志がまさかアイドルの生誕に引き継がれたのだとしたら…面白いな…と勝手に思っていた。
途中、一時間が経過したあたりで休憩を挟んだ。
この時、鈴木氏はひどく喘息気味な咳をしていた。それでも8曲近く連続で歌い、らむ太郎もそのペースでいきなり調整に付き合ってくれた。彼女の想いを誰よりも背負って一緒に舞台に上がる覚悟が既に彼にはあったように思う。
ココで、鈴木氏が遠慮している気がしたので、それはやめようと伝えた。ワガママにやりたいことを言って欲しいと伝えた。今回は特にクリエイティブに妥協をしてほしくなかった。
この時期といえば、途方も無い集客と、5年掛りの夢そのものと出会う日が近づくプレッシャーの中に彼女はいたわけで、そんな中でやるならばこそ、思うがままをやるべきだと思った。とはいえ、らむ太郎に気を使うのは当然なので、僕が両者の先輩で繋いだ人間という立場から、そこのバランスだけはとらせてもらった気がする。
厳密にいえば、この瞬間、僕の仕事はほぼ終わった。
鈴木Mob.の「今」をみせる公演だ。
誰もコントロールをすべきじゃない。
そもそも、誰もコントロールなんて出来やしない。鈴木Mob.も創作も自由じゃなければ意味がない。誠実に向き合う為には自由じゃなきゃいけない。
この稽古でらむ太郎が一応ギターも弾けますと持ってきてくれたり、千本桜ならわかります、と言ってくれて、後半の稽古で更に公演イメージの幅は広がった。
その数日後のワチャチャ卒業ライブにらむ太郎が伺う約束をして、この日は終了。
三月二十三日の朝。
二回目の稽古…の予定ではなかった。
一度候補日にはなっていたが、武道館直前だし、やめとこうとなったはず…が鈴木氏が逆に間違えて稽古日と思い、スタジオを借りてしまう。我々としては本人がやりたいならやりましょうと、承諾。彼女は箱根にレンタルもぶぴという企画のために向かう。
夕方。
箱根、町田での活動中に、つきまとい行為が起きる。
警察対応になるほど。
たなしゅう、らむ太郎は鈴木氏より連絡をもらい、今日はバラシでいいよと伝えるが鈴木氏は当日に時間を取ってもらったのに申し訳ないとギリギリまで稽古出来る可能性を模索。が、警察対応が長引く形でバラシ。次回は四月二日ということに。
不安が増す。
悔しいだろうなと思った。
どんなに頑張っていても、どうしようもない感情や行動ひとつで、こんなことになる。それでも歌うしかないし、それでも話すしかない。今じゃなくて良いじゃないかと神に言いたくなるが、そんなものいつだって良いわけがなく、だからこそ今来てしまう。神などいないからこそ歌うのだ、何かを信じたいから。
三月三十一日。
武道館ワンマンライブ大成功。
たなしゅう、らむ太郎は2階の南西あたりで見届ける。
らむ太郎はこの日、なぜか緊張していた。
この次のステージが自分が担うのだという武者震いと漢気。
ちなみに僕の感想は「みんな、辿り着けたんだな。間に合ったな。よかった。おもろかった」でした。
四月二日。
この日の稽古もバラシになってもいいよとは伝えていたが、予定通りに行うことに。
鈴木氏はヘロヘロで現れるかと想定していたが案外元気そうな姿で現れた。甘いスタバのホットドリンクを差し入れに買っていった。糖分だけでも。なんかウーロン茶のラテ。
どちらかといえば、結果、彼女の中での闘いは継続していて、まだホッとなどしていなかったのだろう。相変わらずタフだと思った。
不思議と前回稽古から更に二人の感じが合わさっていた。
鈴木氏は武道館を終えて、プレイヤーとしてギンギンに仕上がっていたし、らむ太郎は相当一人で稽古をしてパターンを提案してくれた。
この日に、オタ芸だけする時間を作りたいと言う提案とフリップをらむ太郎にめくって欲しいという提案が鈴木から。
そこに見せ方やノリ、曲順などの構成だけ僕からいくつか提案した。すんごいベタなくだりをいくつか。
出来るだけ「誰も掴みきれないまま、それでいて盛り上がる…多角的に良さをみせる公演」にするには構成が繊細に必要だと感じたため。かっこよさも、お笑い的な面白さも、ソロ曲、アニソン、鈴木Mob.の良さを混ぜるための構成を提案した。両人、了承。
少し慣れたと思ったら違う色味が広がる感覚や転調がおてんば娘には似合う気がした。少しずっと他より早く動く感じ。半歩早い感覚。もうこの日で中身はほぼ出来上がっていた。
この日の稽古後に、ファンクラブで配信されたミミゲラジオも収録している。謎に鈴木氏がラジオなのに。立ってMCをしてくれた。その方が落ち着くらしい。
余談だが、この日、色々あってチャットモデレーター中田が初出勤し、僕もMMGJAPANにぬるりと参加する運びとなる。二人で一つ。バロム1かプリキュア。
四月九日。追加日程。
スケジュールに余裕ができ、追加稽古。
この日、スタジオに着くと鈴木氏は一人で踊っていた。ガラス越しの扉。今思えば幻影ギャラクティカ。まだまだ時間がない日々なのだ。
この日、らむ太郎はチェロの弦を張り替えてパワーアップして現れた。
この時期になると僕は本当に見守るしかやることはない。コーヒーとルイボスティーを差し入れてニコニコして「ええやんええやん」しか言わないおじさんをしていた。
ここまで来たら、小細工無用。モチベーションとノリである。ステージに持って行けるのは技術と肉体と魂。外部からはもはや出来るのはフィジカルのケアと不安を細かく取り除くだけ。ダメなとこがあっても、一緒にステージにあげて味にすれば良い。だから、ええやんええやん。オールオッケーよいしょ。
ある程度、もう形になっていたが、鈴木氏のアイデアが出れば、すぐにやってみたり、宿題にするような日、とてもクリエイティブな稽古だったと思う。ギリギリまで良くしようとするのは、芸人の単独ライブにも似ている、正解がないからこそ、当日まで作り続ける、芸人に育てられたアイドルに静かに共感したのを覚えている。
四月十一日。
前日。21時頃。雨の渋谷。
またも、スタジオに着くと鈴木氏は一人で踊っていた。
らむ太郎が到着。九日の日に、千本桜だったか、やはりアニソンもチェロとコラボしたい!となったので、それだけ合わせる。十日の日に一人カラオケ館で修業してきたらむ太郎。
この日、初めてしっかり通し稽古。二回。
ちゃんと仕上がり、明日の入り時間などを確認。
神田明神ホールでも稽古は少し出来るので、それで解散。前日というのは意外にあっさりしたものである。
僕はこの日、稽古を見守り、終わりにブラックサンダー柿の種味をみんなに配っただけ。糖分。柿の種味?美味しかったらしいです。
あまり公開されない形でのセトリ公開
チェロソロというパワーワード。オケ&チェロという聞き覚えのないコンビ。
あまり不安もなく、帰路。
あとは楽しむだけだ。
次回、制作日記ラスト回。当日編です。
お粗末。
本公演の映像はこのファンクラブのお客様プラン以上に、入会すると追加料金無く全編、ご覧頂けます。そちらも是非。